あらかわのエッセイ

三十代農民のつぶやき。

郷土に馳せる想い。

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郷土食というのは文化の象徴かと思う。今でこそ大抵の食材が簡単に入手できるが、昔はそうもいかなかった。その土地にあるものをその土地の方法で料理し、食べていただろう。

例えば醤油一つとってみても地域によって色や香りや味が全然違う。調味料が変われば味付けも変わるし、肉といえば関西では牛だが関東では豚だったりする。これは農耕用の動物が違う文化の表れらしい。

写真は岐阜県の郷土食で鶏ちゃん(けいちゃん)という、鶏肉と葉野菜を甘辛く炒めたものである。どんな文化だったのかを調べてからいただくと、奥ゆかしい気持ちになれるものだ。

写真と、思い出と。

 

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brassband


中学生の頃に吹奏楽をやっていた。まだ松本市に併合される前の小さな山村の学校で、全校生徒は当時200人もいなかったと思う。そんな学校の吹奏楽部が小編成とはいえ、県代表になったのは名誉あることだろう。(※吹奏楽の大会は50人のA編成と30人のB編成とがある。A編成は全国大会まであるガチ大会だが、B編成は県大会の次が長野県の場合は東海大会でおしまい

写真とは不思議なもので、撮影された当時のことを鮮明に思い出させる。1つ上の先輩が美人だったなあとか、隣でトロンボーン吹いてる友達とマンガの貸し借りしたなあとか、懐かしい気持ちになる。同じトランペットを吹いていたけど仲が悪かった彼は、今どこで何をしているのだろう。
あの頃から、もしかしたらそれ以前からかもしれないが、僕はなにかと苦悩していたように思う。生きていく意味や社会の矛盾、人間と関わる煩わしさ、とにかく些細な事で厭になりながらロングトーンの練習をしていたことを覚えている。音楽は好きだったし、先生や仲間から認められることもうれしかった。多分私のアイデンティティはそこにあったと思うし、それが精一杯生きた結果になった。40万円で買ったストンビーのトランペットは、今でも手元にあって色褪せてはいない。でももう上手には吹けなくなったと思うと寂しい。
私には月に2回くらい通っていたトランペットの先生がいた。先生は私が高校に上がって不登校になったときに、時々遊びに連れてってくれた。感謝はしているのだけど、なぜか恥ずかしくてお礼が言えないまま連絡先もわからなくなってしまった。もしまたもう一度会えたらその時は、しっかりお礼を言えたらいいなと思う。

写真とは不思議なものだ。いろいろな記憶や感情を、思い起こさせるものだな。

六畳間ユニバース。

隣のオヤジがやっと静かになった深夜11時過ぎに、またメランコリーの種を蒔いている。同じことを何年繰り返せば気が済むのだろうかとつくづく思う。そしておそらくは気の済むことはないのだ。

ああもうそんなに若くないな、という自覚が定着してきているのは疲労感が抜けないからだろうか。そう考えると人生が長すぎる。まだ半分も生きてないのに。

しかし確実に時間は進んでいてとてもゆっくりと死へ向かっている事実を、やはり現実として受け止めることができない。人間に限らず多くの死は身近にあるのに、自分の死だけは理解できないものなのだ。

冷蔵庫のラジエーターが低くうなるこのワンルームから灯りを切ると、iPhoneの画面が明るく浮かび上がる。孤独との付き合い方は未だにわからず、今夜も暗闇で一人。

ゲームの思い出。

親がゲームに対して全く理解のなかった我が家において、孫を哀れに思ったのか祖父がゲームボーイを買ってくれたのを覚えている。こどもの手には少し大きいグレーの四角い筐体、その電源を入れると乾いた音で「ピコーン」と鳴るのだ。友達と遊ぶときに持っていったこともあるし、道中で落としても画面が割れたりソフトを読み込まなかったりといった故障もなかった。単3電池4本のコストは小学生の私には安くはなかったが、それでも近所の小さな商店に小遣いを握りしめてよく買いにいったことが懐かしい。

 

初めて遊んだソフトは確か、テトリスだったように思う。BGMのB-typeがお気に入りで毎回それを選んで夢中になって遊んでいた。ほかにも有名なものだとスーパーマリオランドポケモンシリーズ、星のカービィ2、モンスターレース、たまごっちなどをやったような記憶がある。初期の頃に発売されたソフトはプレイ状態のセーブ機能がついていないものが多く、一度電源を切ってしまうと元の状態に復帰するのに合言葉が必要なものがあったり、なかには最初からやりなおしを強いられるものもあったりしたのだから難易度が高かったような気がする。あいことばなんか一つ間違えただけでもう二度と復帰することはできないのだ。

 

コンピュータの進化によりフルカラーで綺麗なグラフィック、高音質なサウンド、複雑なゲームシステム、直感的な入力などが可能になり、ゲーム性自体も昔より高度なゲームがたくさん登場している。さらにはゲームエンジンや開発ツール、フリー素材の普及でゲーム開発自体も特別な専門知識がなくてもできるようになってきた。ゲームをやる人も作る人もこどもの頃に夢中になって遊んだ時の純粋な楽しさを忘れていないだろうし、それをずっと持っているのだろうなと思う。新しいゲームがこれから先にたくさん出るだろうけれど、その本質は変わらないでほしい。

手紙。

「この歌しってる?アンジェラ・アキって人の、いい歌よね。」

私が大学の長期休暇で帰省したときのこと、そう言って母はNHKみんなのうたのテキストを見せてくれた。表紙には「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」と書いてある。新しい歌にはほとんど興味がなかった母がとても嬉しそうに話してくれた表情を、私は鮮明に覚えている。

小学生の頃、とある科学雑誌の巻末にある友達募集コーナーで募集した何人かのペンパル(文通友達)とやりとりをしていた。お互いの住んでいる地域や学校のこと、家族や友達の近況、夏休みの予定、趣味や習い事の話、相手についての質問、恋話など、いろんな話をした。質素な茶封筒にヤマセミの描かれた80円切手を貼って送ってくれる人もいれば、その季節を思わせる花柄やパステルカラーに彩られた風情のある便箋を封筒に入れて送ってくれる人もいたりした。ポストに入れられた手紙を手にとってそれを読みながら、ペンパルがどんな人でどんなことを思いながらペンをとったのか想像するのが、実に楽しくて奥ゆかしいのだ。

そんな私も中学校に上がり、部活や勉強などで忙しくなった。ペンパルも同い年が多かったからか手紙を送っても返事は来なくなり、いつの間にか手紙をやりとりすることはなくなった。字は汚かったけど活きのいい魚の絵を毎回送ってくれた男の子や、独裁政治から民主化への運動が激しかったインドネシアより毎月手紙を送ってくれた女の子は、今何をしているのだろう。

ラジオで時々この歌を聴くたびに、当時のペンパルと母のことを思い出す。ペンパルからの手紙は私の知らないうちに母に処分されてしまったけれど、母の遺した最初で最後の手紙は手元にある。寂しくなったときにこっそりとその手紙を開くと、どこかで母が応援してくれているような気がする。書いた人の気持ちを時間を超えて感じ取れる、手紙とはとても素敵なものだと思う。

車選びは楽しい。

オススメの車種を尋ねられたのでアレコレと考えたり調べていたら延べ10時間くらい経っていた。時間を忘れるって楽しい。車選びはその人が車を利用する用途や予算や乗せる人の有無などで勧める車種も変わってくるのだけれど、特に指定がなかったため新車200万円以下で買えて5人までなら乗せられる軽自動車もしくはコンパクトカーを挙げてみた。(質問者さんへ:細かい条件などがあればまた個別に教えていただければ別の車をオススメできるのでなんでも聞いてください)

 

軽自動車部門

スズキ アルト

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1979年に製造を始めてからおよそ40年、何度もモデルチェンジをして現在に至る車種。魅力は何といっても総合的にコストが少なくて済むこと。エントリーモデルのメーカー希望小売価格は847,800円、燃費も29.6km/Lと良好。とにかく維持費を最小限に抑えたいならこの車でキマリだ。走りにこだわりたいけれど維持費も抑えたい場合は、アルトワークスというスポーツタイプの設定もある。

http://www.suzuki.co.jp/car/alto/detail/index_f.html

 

ホンダ N-BOX

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2012年、2017年と二度のカーオブザイヤーを受賞し、ここ近年では一番売れている軽自動車だろう。インテリア、エクステリア共に高級感があり、車内も広くファミリーカーとしても人気が高い。安全運転支援システム(Honda SENSING)は全てのグレードに標準装備、ターボ設定もグレードによってはある。メーカー希望小売価格は1,385,640円から。

https://www.honda.co.jp/Nbox/webcatalog/type/normal/

 

ダイハツ ウェイク

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「ドデカクつかおう」でおなじみ。日常からレジャーまで、幅広い用途に対応できる車として開発された。フロントシートとリアシートを倒してフラットにすれば車中泊もできるし、リアシートだけ倒せばロードバイクを2台は詰める大容量ラゲッジスペースにもなる。他にもスノーボードやサーフボードなどの長物も積むことができるので、アウトドアアクティビティにはもってこいの車だろう。予防安全機能(スマートアシスト3)はエントリーモデル以外のすべてのグレードに装備。メーカー希望小売価格は1,350,000円から。

https://www.daihatsu.co.jp/lineup/wake/index.htm

 

コンパクトカー部門

 

トヨタ アクア

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ハイブリッドカーの金字塔、プリウスをコンパクトカーにした車種。エンジンとモーターによる高い加速性能を持ちながら高度な安定性を実現。静粛性の高いハイブリッドカーの特性に加え振動対策や遮音材によるノイズ対策など、静かな車内を追及している。燃費もクラストップレベルの38.0km/Lをマーク。インテリアも落ち着いたデザインになっており、リアシートを倒せば広いラゲッジスペースがうまれる。グレードによっては高速道路などでアクセルを踏まずに走行できる、クルーズコントロールなどの運転アシストを装備。メーカー希望小売価格は1,785,240円から。

https://toyota.jp/aqua/

 

ニッサン ノート

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2018年上半期での販売台数が日本一と今一番売れているようで、ガソリンエンジンe-POWERの設定がある。このe-POWERとは簡単にいうと、エンジンで発電した電気で走る仕組みのことだ。従来のハイブリッドがエンジンとモーターの力で走るのに対し、e-POWERはエンジンの発電する電気でモーターを動かす。その走りはとても静かだがしかし、山道や雪道でも力強い走りを実現してくれる。燃費はガソリンエンジンで26.2km/L、e-POWERでは37.2km/Lをマーク。車内もコンパクトカーながら広く快適装備も充実。グレードによっては車線逸脱防止支援システムや、車や人との衝突を回避するエマージェンシーブレーキなどの先進安全装備も。メーカー希望小売価格がガソリンエンジン仕様で1,421,280円、e-POWER仕様が1,901,880円から。

https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/note.html

 

スズキ スイフトスポーツ

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流れるようなフォルム、力強く走るその姿に魅了されるファンは多い。鮮やかなチャンピオンイエローはスイフトスポーツにのみ設定を許された王者の証だ。
重量を970kgまで軽量化して1.4Lターボエンジンを搭載した車体、軽量コンパクト化を実現した新しいブースタージェットエンジン、路面を確実に捉えるためのストラット式フロントサスペンション、軽やかなコーナリングを実現するためのトーションビーム式リアサスペンション、高トルクなエンジン性能を最大限に生かすための6速ミッション(AT設定有)、心地よい排気音を奏でるデュアルエキゾーストパイプなど、隅々まで徹底的に改良やチューニングがされている。ブレーキは4輪ディスクブレーキ、17インチホイールは専用設計。コックピットに座ればもう、心躍ること間違いないだろう。メーカー小売希望価格は1,836,000円から。

http://www.suzuki.co.jp/car/swiftsport/

 

農業をしていてよかったこと。

24歳で大学の学部を卒業した僕にとって、就職は困難なことだった。回りの同期は4月になって働いている中、私はまだ内定をもらえずにいた。大学でコンピュータの勉強をしていて都内や近郊のIT企業数十社にエントリーしたものの、全てお祈りされた。絶望の淵にいた。

 

そんな私を見て知人がとある企業に紹介状を書いてくれた。埼玉県では有名な飲食店を運営している企業で、そこはホワイトだから行ってみたらいいよと薦めてくれたのだ。そのころの私は特にITへの執着はなく、正社員として働けて生きていく給料がもらえればなんでもよかった。しかしいざ本社へ面談に行き役員の方と面談をすると、意外な話を持ち掛けられたのだ。農場を運営しないか、と。

 

私は驚いた。3年間はほかの場所で農業の研修をしてから、埼玉県の畑で農作物を作る。ITのことも大学で学んだことも全く関係ない分野である。実家は兼業農家で育ちも田園風景の広がる田舎であったから、農業に対して抵抗や敷居のようなものはなかった。むしろ好機とさえおもった。高校の頃からあこがれていた”モノづくり”に携われるのだ。

 

それから3年間、長野県では夏にマルチや露地栽培でレタスとリーフレタスとキャベツを作り、静岡県では冬にトンネルや露地栽培でレタスリーフレタスとキャベツを栽培してきた。まるで渡り鳥のように、作物を作れる場所へ赴いては栽培をした。その頃は年に60日くらいしか休まなかったと思う。夏は朝4時に起きて畑へ行き、夜は8時過ぎまで働いた。暑い日差しの下でも、寒い雪の降る日も、春の強い風の中も、冷たい雨の降るときも、畑で働いた。そんな毎日を過ごしているうちに、過酷だけれど農業を好きになった。客観的に見れば狂気じみているかもしれないが、私にはこれが性分なのかもしれない。

 

3年間の研修を終えて、今は埼玉県で野菜を作っている。うまくいかないこともあればそれをどうにか是正するし、うまくいけばそれを来年も同じようにできるよう努める。農業、そして野菜の栽培。業界は違っても、高校の頃に思い描いていた憧れを形にできているのだとおもう。落ちこぼれでも就職できたし、農業を好きになれたことが自分の財産の一つだと思う。