あらかわのエッセイ

三十代農民のつぶやき。

農業をしていてよかったこと。

24歳で大学の学部を卒業した僕にとって、就職は困難なことだった。回りの同期は4月になって働いている中、私はまだ内定をもらえずにいた。大学でコンピュータの勉強をしていて都内や近郊のIT企業数十社にエントリーしたものの、全てお祈りされた。絶望の淵にいた。

 

そんな私を見て知人がとある企業に紹介状を書いてくれた。埼玉県では有名な飲食店を運営している企業で、そこはホワイトだから行ってみたらいいよと薦めてくれたのだ。そのころの私は特にITへの執着はなく、正社員として働けて生きていく給料がもらえればなんでもよかった。しかしいざ本社へ面談に行き役員の方と面談をすると、意外な話を持ち掛けられたのだ。農場を運営しないか、と。

 

私は驚いた。3年間はほかの場所で農業の研修をしてから、埼玉県の畑で農作物を作る。ITのことも大学で学んだことも全く関係ない分野である。実家は兼業農家で育ちも田園風景の広がる田舎であったから、農業に対して抵抗や敷居のようなものはなかった。むしろ好機とさえおもった。高校の頃からあこがれていた”モノづくり”に携われるのだ。

 

それから3年間、長野県では夏にマルチや露地栽培でレタスとリーフレタスとキャベツを作り、静岡県では冬にトンネルや露地栽培でレタスリーフレタスとキャベツを栽培してきた。まるで渡り鳥のように、作物を作れる場所へ赴いては栽培をした。その頃は年に60日くらいしか休まなかったと思う。夏は朝4時に起きて畑へ行き、夜は8時過ぎまで働いた。暑い日差しの下でも、寒い雪の降る日も、春の強い風の中も、冷たい雨の降るときも、畑で働いた。そんな毎日を過ごしているうちに、過酷だけれど農業を好きになった。客観的に見れば狂気じみているかもしれないが、私にはこれが性分なのかもしれない。

 

3年間の研修を終えて、今は埼玉県で野菜を作っている。うまくいかないこともあればそれをどうにか是正するし、うまくいけばそれを来年も同じようにできるよう努める。農業、そして野菜の栽培。業界は違っても、高校の頃に思い描いていた憧れを形にできているのだとおもう。落ちこぼれでも就職できたし、農業を好きになれたことが自分の財産の一つだと思う。